豊橋 / 三河エリア ヘッドスパ専門店プテラスHome > プロフィール
愛知県中部美容専門学校岡崎校卒業
美容師免許 第286783号
日本メンタルヘルス協会 心理カウンセラー取得
はじめまして、愛知県豊川市生まれの山本季和(やまもときわ)と申します。
育毛専門店、豊橋サロンと岡崎サロンの店長を経てこの度、中部地方で唯一のプーラ式ヘッドスパ専門店をオープンする運びとなりました。
私は、15年以上にわたり、ヘッドスパ&育毛専門店に勤め、そのうち10年以上を店長として、2年間を本社での新人教育担当として過ごしてまいりました。新サロンでは、長年の経験と技術を活かし「お客様一人ひとりの悩みに寄り添う」という姿勢を大切に、オーダーメイドのヘッドスパと育毛ケアをご提供いたします。
これから、私がどのようにしてこの道を歩み、そして新サロンの開業に至ったのか、その歩みをお話しさせていただきます。私の歩んできた道のりとともに、新サロンに込めた想いをお伝えできれば幸いです。
幼少期から、三つ上の優秀な兄の存在が私の人生に大きな影響を与えてきました。常に兄と比較され「兄の妹」として見られる日々。先生からも兄と比べられ、私の個性よりも兄の妹であることが強調される環境で育ちました。
そんな中で、3歳の頃から高校卒業まで打ち込んだのが剣舞でした。剣舞では、私も兄も頭角を現します。愛知大会で10回以上の優勝、ついには日本一の栄誉も手にしました。日本武道館での披露という名誉ある経験もしましたが、それでも兄の影は大きく、兄だけが文部大臣賞も受賞。文武両道の兄には何をしても及びませんでした。この経験は、私に大きな挫折感を与えると同時に、強い向上心も芽生えさせました。
高校時代、「兄の妹」というイメージから脱却したいという思いが強くなりました。「私にしかできないこと」を見つけたい。それは幼い頃から抱いていた夢でもありました。そして、兄に唯一勝てるのは手先の器用さだということに気がつきます。この発見が、美容師を目指すきっかけとなりました。
人に教えることが好きだった私は、さらに美容師学校の教師になることを目標に定めます。懸命に勉強し、美容師資格を取得。その過程は決して平坦ではありませんでしたが、兄の影から脱却したいという強い思いが、困難を乗り越える原動力となりました。
資格取得後、サロン実習の下積みを経てユニセックスサロン(美理容院)で勤務を始めました。男女両方のお客様に対応することで、幅広い技術と知識を身につけることができました。しかし、ここで思わぬ壁にぶつかることになります。
サロンでの勤務は、新たな学びの連続でした。しかし、使用する薬剤が合わず、手荒れが深刻化。サロン業務を続けられない状況に陥ったのです。
美容師学校の教師になるには実務経験3年以上が必要でしたが、その道は断たれてしまいました。サロンオーナーからの「この手荒れは辛そうだね」という同情の言葉を受け、私は一度立ち止まって考えました。
この経験を無駄にしたくない。そう思った時、育毛の悩みを持つ多くのお客様のことを思い出したのです。
育毛剤の効果に疑問を持ち始めました。「育毛剤と書いてあるのに、なぜ思うように髪が生えないのだろう。」この疑問が、私の新たな道を切り開くことになります。
本格的に育毛を学びたいと考えた私は、大手育毛サロンに入社しました。金山サロンでの新人時代は、社会人としての基礎を叩き込まれる日々。世間知らずの私は怒られることも多く、その分社会を学ぶ貴重な機会となりました。
持ち前のやる気と負けん気で、与えられた仕事に真摯に向き合い「こんなに成長できる機会はありがたい!」と前向きに捉え、日々努力を重ねます。その結果、全社で初めての快挙、入社わずか1年で豊橋サロンの店長に抜擢されます。
順風満帆とは言えませんでしたが、他責ではなく自責で物事を考える姿勢を身につけ、心理カウンセリングなど自己啓発にも励みました。
努力は実を結び、徐々にお客様やスタッフから信頼されているという実感を得られるようになりました。「山本さんだから着いてきた」とお客様に言われ、「山本店長を目標にしている」とスタッフに言われるようになると心があたたかく満たされ、ようやく兄の呪縛から解放されたのです。
半信半疑だった育毛実績も増えた頃、新入社員へ技術指導を担当するまでになった私は、充実した日々を送っていました。しかし、一点のモヤモヤがどうしても消えません。全国展開をしている会社だったため、誰がどのサロンに行っても同じ技術を受けられることを目指していました。しかし私は、個人としての技術力や知識をさらに成長させたいと思うように。
そんな時、ネットでプーラ式ヘッドスパの辻敦哉さんを見つけました。ホームページを隈なく拝見し、どうしても辻さんに会ってみたくなった私は、浦和まで足を運んで辻さんのプーラ式ヘッドスパを体験。
プーラ式ヘッドスパの体験は衝撃的でした。
育毛サロンで働いていた私にとって、辻さんの技術は驚きの連続。頭のこりや、首肩の波及ポイントなど、今までの経験を活かしつつ、さらに高度な技術と可能性に心躍らせました。「これまで携わってきたお客様にもきっと喜んでもらえる。」長年、髪に携わってきた私ではありますが、辻さんの技術力の高さ、豊富なノウハウ、そして物腰の柔らかさと自信に満ちた雰囲気に、深い感銘を受けました。
プーラ式ヘッドスパのセミナーを心待ちにしていた矢先、思わぬ試練が訪れます。数ヶ月前から患っていた膀胱炎が治らず、病院でMRI検査を受けたところ、後腹膜に腫瘍が見つかったのです。摘出して病理検査をしないと癌かどうかわからないが、摘出した人の8割は癌だと医師から告げられました。
自分のやりたい道を見つけたのに、数年後の自分の命さえ見えない。そんな状況に直面し、辻さんにはセミナーの延期をお願いしました。病室で物思いにふける中で、一つの決意をしました。癌と診断されてもされなくても『自分のやりたいことをやろう』と。
37歳の誕生日を病室で迎えました。コロナ禍で面会も制限され、孤独な誕生日になるかと思っていた矢先、思わぬ奇跡が起こりました。往診時間外にもかかわらず、ドクターが息を切らして病室に駆け込んできたのです。
「山本さん、病理検査の結果、癌細胞はありませんでした。良性の腫瘍でした!良かったですね!」
この言葉を聞いた瞬間、安堵の思いと喜びで自然と涙があふれ、新たな人生のステージが始まるような気がしました。私の人生観を大きく変えたこの経験は、一瞬一瞬を大切に生きること、そして自分の夢を諦めないことの大切さを教えてくれたのかもしれません。
家族や会社の仲間、そしてプーラ代表の辻さんに回復を報告し、改めて日本一を目指すことを決意。プーラ式ヘッドスパセミナーでは、辻さんから直接指導を受け、毎回の課題に真摯に取り組みクリアしていきました。
高度な技術を習得できるか不安もありましたが、感動した技術が自分の手でできるようになっていく喜びを感じながら、夢中で学びました。
そんな中、思いがけない出来事が起こります。私が店長を務める豊橋サロンが岡崎サロンと吸収合併することになったのです。私は岡崎サロン店長として異動することになりましたが、この出来事が独立への決断を後押ししました。
もともと40歳までの独立を目標にしていましたが、この合併により計画が2年ほど早まることに。運命的なタイミングでのプーラ式ヘッドスパとの出会い、諸先輩方との出会いもに感謝しています。
独立に向けての物件探しも決してスムーズなものではありませんでしたが、頭の中にあったサロンのイメージが、一つずつ現実のものになっていく喜びは言葉にできないほどです。
サロン名は「プテラス」と名付けました。これは「プリマステラ」(一番星)を略した「プテラ」に、「照らす」という意味の「テラス」を組み合わせたもの。お客様を一番星に例え、その輝きを照らし続けたいという想いを込めました。また、「プーラ」の文字をサロン名に入れることで、地域一番のヘッドスパのお店を目指す決意も表しています。
プテラスは、常に新しい技術や知識を吸収し、進化し続けるサロンであることをお約束します。
剣舞で日本一になった経験、数年後の命すら見えなくなった経験、そして夢のサロンのオーナーとなった経験。これらすべてをプラスに活かし、愛知県を代表するヘッドスパ専門店として、お客様に喜ばれ、地域に根付くサロンを目指して精進してまいります。
頭皮ケアだけでなく、心身のリフレッシュにも力を入れ、お客様の内側から輝く美しさを引き出すお手伝いをさせてください!
お客様一人ひとりが、かけがえのない一番星として輝く人生を歩んでいただけることを願っています。
それでは皆様のご来店を心よりお待ちしております。ぜひプテラスで、至福のひとときをお過ごしください。